お盆に親戚の初盆のため島原へ里帰りしました。

 両親や妹も亡くなり、近年は里帰りする回数も少しづつ減っています。
 今回は温泉関連で雲仙に宿泊しました。雲仙の地獄は両親の仏壇に飾っている写真(お糸地獄前で両親のツーショット)の背景になっていることもあり湯煙を見ると感慨深いものがあります。今回は久しぶりに雲仙地獄を散策してみました。写真のとおり素晴らしい景色です。蒸気も勢いよく噴出していました。真夏なので暑くて熱くて!汗びっしょりになりました。

 島原に向かう途中で、大野木場小学校の災害記念館に立ち寄りました。普賢岳の噴火から25年、たくさんの方が亡くなられた爪痕が残っていました。小さい頃によく聞いていた「島原大変肥後迷惑」を改めて調べてみますと、その当時島原で1万人、熊本で5千人の方が亡くなっていて、眉山の山体崩壊による津波の高さが5m~10mともいわれています。有明海が眉山の土砂で埋まって900mほど海岸線が延びたそうです。あれから200年再び普賢岳が噴火したのです。ここ25年日本国中で大災害が起きていますが、その始まりが雲仙普賢岳の噴火のような気がします。地震、大津波、台風、火山の噴火など50年100年サイクルでの災害が多いですね。自然の力の大きさと人間の力との差や人生の短さを感じざるを得ません。

 話を元に戻します。さて、私を始め、親戚の従兄弟たちは60~80歳くらいになり、皆さん体力の衰えが顕著になってきています。いつまでも健康で有り続けたいですがこれだけは神様のみがご存じのことでしょう。一日一日がとても大切に感じる今日この頃です。災害記念館を後にしてその後2日間親戚回りさせて戴き、吉田家の墓参りをして帰福しました。

 島原のお墓はいずれみてくれる人がいなくなる可能性が高いような気がします。その地に根付くほど仕事があるわけでもなく、空洞化現象とか空家対策など地方都市で最近耳に挟む言葉が現実味を帯びてきています。地方創生(地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策)がうまくいくといいのですが。
 不動産鑑定士としては、地方の活性化なくして都市部の持続的な発展はないと思っています。

(株式会社第一鑑定リサーチ 不動産鑑定士 吉田稔)